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仙人の家を経営する竹中夫妻「やりがいは、みんなの情報の場所であり、いこいの場所になっているということ」

西東京市でコミュニティ・カフェ「仙人の家」を経営する竹中ご夫妻(通称、仙人とミミさん)に仙人の家をはじめたきっかけや現状とこれからやりたいことについてお話を伺わせていただきました。

竹中美重子さん
西東京市でコミュニティ・カフェ仙人の家を経営する竹中夫妻

竹中秀二・美重子(たけなかしゅうじ・みえこ)夫妻

西東京市在住。自宅を改装し、コミュニティ・カフェ「仙人の家」を経営。現役時代、ご主人の竹中秀二さん(以下仙人)はアルタの前身である二幸の内装屋、奥様の美重子さん(以下ミミさん)はファッション業界に従事。美重子さんが65歳で定年後、ご夫婦で四季折々を自然の中で見ながら生活しようと長野にて13年間生活。その後、西東京に戻りみんなが集まる居場所になればとコミュニティ・カフェ「仙人の家」をスタート。仙人の家は今年の5月で丸3年を迎える。昨年から社会福祉協議会の助成金事業で福祉に関わる活動を始める。

 

── まず、仙人の家と現在の活動を始めたきっかけを教えてください

40年前から高齢社会を意識した住まいづくり、活動をしていた

仙人 まずは結婚まで遡ると約40年前だけど40歳のとき結婚したんだよね。この家はその時には建ててあったんだ。その時はアルタの前身の二幸という会社で内装をしていたが、親が亡くなり家の2階の活用という問題があったんだけど、結婚前に改装して全部独身向けのアパートにしてしまっていた。当時はアルタの前身の二幸で内装業をしていて、1階は会社の荷物置き場になっていたんだけど、結婚後はそこを使って住んでいたんだ。2階は6畳の部屋と4畳半のダイニングキッチンのアパートが4つ、奥の部屋は寝床として使っていた。その時に今でもある年寄りでも登れる階段を作ったんだ。

仙人の家の始まりを話す竹中秀二さん(通称仙人)
仙人の家の始まりを話す竹中秀二さん(通称仙人)

仙人 その頃、老人の問題が問題視されはじめていて、これから高齢化社会が来るという時代に、その時は仕事をしながら、三鷹、東久留米、小金井で高齢問題に首をつっこんでいたんだ。いろんなリサーチを手伝ったり、高齢の方は会議になかなか人が来られなくなっていたから、自宅まで自家用のワゴン車で迎えに行って会議に参加してもらったりと、そういうボランティアや奉仕することは全然苦にならなかったんだ。  

定年退職後、長野に。福祉、ボランティア活動に励む

ミミ この人(仙人)が25年前に大腸がんになったんです。人工(オストメイト)にして助かったんですよ。人工にしていいと言ったらお医者さんが本当にホッとしたように「皆さんジタバタなさるんですよ」とおっしゃってました。でも本当にそれで助かりました。その後、私が65歳の時に定年退職し、長野に行きます。「1年間四季折々を見て楽しんでから西東京で何かしようかね」と思って行ったんですが、向こうに行ったのがやみつきになり、13年間いました(笑) ミミ 長野では茅野市の博物館や考古館のボランティアや、主人は社会福祉協議会関連の“おやじの出番”に入り、福祉関係のボランティアをしていました。例えば最近は観光客にも「御柱(※1)」を触らせてくれるようになったんですが、目の見えない人などが怪我しないように付き添って触ってもらったり、旅行に一緒に行ったり、川の清掃などやっていたんです。 ※1 諏訪大社における行事で寅と申の年に行なわれる式年祭に使われる山中から樅の大木を切り出したものを御柱という  

仙人の病気がきっかけで東京に戻ることを考えるようになった

ミミ わたしは運転ができないのですが、ある時、主人が1日だけ具合が悪くなったときがあって、どうしようもなく、これは・・・と考えてしまったことがありました。それで、もう東京に戻ろうか、戻って何をしようかと考えるようになりました。  

山(長野の家)を作ったのはみんなが集まれる場所を作りたい

ミミ ということからだったのですが、仙人の家を作ったのもこの流れの中だと思います。なぜ福祉かというと、主人はもともと福祉に興味を持ち、ボランティア男(笑)だったし、わたしは本業だったファッションと関係ないんですが、昔の3チャンネル、今のEチャンネルを見るのが好き、現役で仕事をしていたときもそういった分野に関心があったんです。長野では信濃毎日新聞で毎日、福祉についての問題などを取り上げた特集があって、ここに戻る前、1年間ずっと読んで勉強していました。福祉に関しては、2人の意見がよく合うんです。そして西東京のこの場所を使って年齢問わずおしゃべりができるような場にならないかという思いからこの場所(仙人の家)の構想が生まれました。    

「仙人の家」スタートの際は仙人の人脈が活きる

ミミ この人(仙人)は若いうちから西東京市(以前の保谷市、田無市)社会福祉協議会さんとのつきあいがあり、三鷹市の「老いを共に生きる会」、小金井市の「老後問題研究会」などで今後は高齢化社会が来るといわれていた時代からやっていた関係で深いつながりを持っていました。東京に帰ってきてからも相談する方が多くいたのはすごく大きかったです。 ミミ まずは、西東京市市民協働推進センター「ゆめこらぼ」に行って相談しました。その時は私達もきちんとした設計図がまとまっていなかったのもあって、相談した方に内容が伝わらず、あまり協力してくれないと思い込んでしまいました。そんな時、有馬将由さん(NPO法人終活支援センター代表)が発行していたチラシにあるイベントに興味を持って勢いで有馬将由さんに電話をしたのがきっかけで、仙人の家を立ち上げる際にお世話になる方々とつながることができました。皆さんの協力があって、仙人の家の実現に至りました。地域の仲間からは「大変だから辞めろ!」と言われたんですが2人とも言うことを聞かず開いてしまいました(笑)

 

── 仙人の家の活動を教えてください

地域との様々なつながりから、いろいろなことが始まった

ミミ 「年齢問わず、みんなが集まれるような居場所づくり」を目指しています。最初のころは、子ども連れのお母さんも来ていました。ただ、子ども連れのお母さん向けの場所はここ以外にもたくさんあり、私達が歳のせいもありあまり来ていただけなくなりました。今は、中には若い方もいますがある程度、年配の方が多いです。現在、仙人の家で開催されているイベントは、初心者向け健康麻雀教室、邦楽・洋楽の懐メロクラブ、ケアラーさんのためのケアラーズカフェ、雑談・放談の会「閑人会」、折り紙・布あそび・革工芸などの手作り工房、昔ながらの唄声喫茶、お食事会などが定期的に開催されています。土日は貸しスペースにしていたんですが、今はイベントで埋まることも多くなっています。6月1日には、西東京で有名なバス・バリトン歌手のLIEU(リュウ)さんやチェロの演奏者やピアニストをお呼びしジョイントコンサートを開催して、大盛況でした。ジョイントコンサートや唄声喫茶には泉町のデイホームの方にも来て頂いております。

仙人の家、6月のスケジュール表 
仙人の家 6月のイベントスケジュール表

 

基盤となる土壌づくりと協力者の存在が大きい

ミミ 福祉関連の人のつながりから皆さんが協力して会を開いてくれてます。毎日いろいろなことをやらせてもらうには、協力者がないと絶対にできることではないですから、本当に人の力って凄いなと思います。本当に私たちも助けられてやっていけていると思います。 仙人 基礎準備である土壌づくりをきちんとやらないとダメだと思う。どんなことが出来るだろうかという機能面まで考えてやっている。

 

 

昨年から社会福祉協議会の助成事業をスタート

ミミ 昨年、社協の助成金講座に挑戦し、“高齢者元気講座”が採択されました。西東京市で3つ講座をやってもらい、2つを包括センターでやっていただきました。最初はお医者さんや看護師さんなどにお願いして、やらなければいけないのではないかと思い、足りなかったらどうしようと思っていたのですが、包括支援センターや市の係の方にご協力いただき開催することができました。必要だと思って動くとわかってくることがあります。いかに市民の方たちがいろんな情報をキャッチしていないかということなんですよね。小さいところが開催しても専門家を呼べるということが示せました。このイベントには多くの地区の包括支援センターや社協さん、市役所の方などがいろいろなところからいらっしゃったので20人定員が常時20人を越えて大盛況でした。

熱弁する竹中美重子さん 
ケアラーズカフェについて話す竹中美重子さん(通称ミミさん)

今年度は、ケアラーさんの精神的負担減や介護を学べる場所としてケアラーズカフェを開催

ミミ 今年はケアラーの精神的な負担軽減や情報交換を目的とした「ケアラーズカフェ」を社会福祉協議会の助成事業として5月から開催しています。これから介護を始める人や、介護ということが頭の中にないという方にも見てもらえるようにしたいということで、西東京市全体に知らせる方法として市全地域にチラシの配布をしたいと思っています。ケアラーズカフェを始めたのは、10人前後のケアラーさんがいらして話す会である「西東京ゆとりの会(会員40名ほど)(※2)」に1年半前から参加して勉強し始めたことがきっかけです。実際に当事者のお話を聞くのは凄く勉強になります。日本で初めての、阿佐ヶ谷のケアラーズカフェ「アラジン」(※3)にも伺ってお話をお伺いすることもできました。 ※2 西東京のケアラーさんのために「話す」が「癒す」になり「ゆとり」を持てるような場を定期的に作っている会の名称 ※3 「ケアする人をケア」を掲げるNPO法人アラジンが運営する東京阿佐ヶ谷駅前にあるケアラーズカフェ。  

介護する側が守られる制度が行政にはない。勉強しながら始めちゃおうと。

ミミ 介護される側は守られているが、介護する側が守られる制度が行政にはないのは問題だと思っています。最近テレビでもやっていましたが、徘徊の問題や、親の介護の為に勤めを辞めざるを得ないとか、高校生や勤めだした若い世代の子が家計の中のバランスを見て、お父さんではなく子どもがおばあちゃんおじいちゃんの介護をするケースもあったりと問題が多様化しているとつくづく感じています。 あまり考えてもあれだから勉強しながら始めちゃおうということにしました。もともと漠然と始めたいとは思っていましたが、介護している知り合いがいないということで始められなかったのです。それが、会への参加で知り合いもでき、一緒に行動して下さる方もでき、社協さんにもお手伝いしていただき、仙人の家でのケアラーズカフェの実現に至りました。  

── ケアラーさんの方はこういった場所で話を聞くだけでも違うのでしょうか

ミミ 「やっとここを探し出しました」という方や「介護保険の関係をどうしたらいいかわからないんだけど」という方もいらっしゃる。役所にたどり着いたりしても担当の何気ないひとことに傷つき頼りにできないと思い込み助けを求めることを断念したり、お金を貰う事自体を貰いづらいという気持ちからできないという方も多いと聞いています。仙人の家に来てもらった時に、話を聞くだけでなく、ここに相談に行ったらいいよとか、できる限りの利用はすべきというような情報を提供することもできるのではないかと思っています。  

「仙人の家」の新しい使われ方も出てきそう

ミミ 同じ活動をしている人がそれぞれ別々に活動していたけど、仙人の家が「つながる場所」となって、新しい動きを始めていくケースも出てきています。 スタッフで20代の方がいてマレーシアの方との交流で使えるか検討したり、西東京市にある武蔵野大学の学生が年配の人たちと意見交流をする場所で授業で使う検討をしてくださったりしています。 とても嬉しいことです。
 

── 仙人の家を経営するやりがいは何でしょうか

仙人 店に女房が何時もいてくれるから私は店に出たいときに出れる自由な空間がいい。ワンマンに私を動かしてくれるのがありがたいと思う。 ミミ なるべくたくさんの方がここにいらっしゃることで満足して頂いているという声を聞くのが嬉しい。考えてみると自己満足かなとも思っているんです。やっているとどんどんやりたいことが増えてきて年甲斐もなく自分の体力を無視して動くので、スタッフの人たちが私達の健康を気遣ってくれるんです。「少し休まなくちゃダメ」って言ってくれます。こう言ってくれる人がいてくれるのが嬉しいです。また、主人も脚立に乗れない私のできないことを気遣ってやってくれます。ここに来る協力してくれる方も含めスタッフ=お客さんではなく一体となってやっている。これは思いがけないこと。はじめはお客さんとしていらした方が、ご自分のやりたいことを始められる方や、協力してくださる方、スタッフとしても協力して下さる方もいらして、これは思いがけない嬉しいことです。一感じることは「守られている」と感じること。それは社協さんやスタッフなど助けてくれる方に「見守り」をしてもらえているからだと思います。一番のやりがいは「みんなの情報の場所であり、いこいの場所になっているということ」なんです。    

── 現状、課題だと思うことはありますか

1、漠然としているカラー 2、もう一つ拡がっていかない 3、元気じゃなくなった後のこと

ミミ 1つ目は、私自身の思いが強く出ないように、この場所にあまり色をつけたくないと思ってます。例えばよく聞くことですが、いらっしゃる方やあるグループの方が占領することがないようにしないといけないと思っています。 たくさんの人の居心地の良い場所であってほしいという気持ちがあるんです。なのでカラーをつけたくないんですが、ある意味では意思をはっきりしないとダメだと言われ、漠然としすぎているということが少し課題でもあります。 ミミ 2つ目はもうひとつ拡がらないことです。戸を開けておくなど入りやすい仕掛けをやったりしているのですがなかなか入ってくださる方がまだ多くはないんです。冷たい麦茶あります、ということを入り口に書いてもみんな入ってくるわけじゃないです。無料じゃなく有料だと思って入ってこないのではと思っているのですが、無料と書くのもあまり効果はないようです。部活帰りの中学1年の男子学生が去年の夏に5〜6人くらい声をかけたら入ってきたことがあります。お菓子と冷たい麦茶をあげていました。その子たちが昨年、中学2年生のときも来てくれました。今年も来てくれればいい。こういう使われ方も増えてくるといいと思っています。ちなみに仙人の家は“ピーポ君の家”(子供の駆け込みの家)に登録しています。最近はなくなりましたが、「ここは宗教じゃないですよね?」と言われることが何回かありました。最近言われなくなったのは、いらっしゃる方が定着しちゃっているからかしら?もっとたくさんの人に来ていただきたいなと思います。唄声喫茶や健康麻雀は人が集まる仕掛けとして期待してます。健康麻雀は月に1回だったのが好評で毎週開催するようになるほどの盛況ぶりなんですよね。 ミミ 3つ目ですが、私達が元気じゃなくなったらどうしようか?という課題があります。  

── 今後の展開、考えていることについて教えてください

新しい場所の使われ方を模索したい

仙人 新しい場所の使われ方として、小学校低学年までの子どもたちの遊び場にしていきたい。例えば、竹馬で子どもと遊ぶ場を提供したい。道路で竹馬をするのは危ないから、2階に竹馬で遊ぶ場所をこしらえてあるんだ。今の子どもが竹馬が好きなのかを試してみたい。仙人の家は、地域の子どもに何かあったときに駆け込む場所として登録している。 あとは、バリアフリーの大きいトイレや足の悪い人がリハビリでも使える階段があるのでそこを推したいしみんなに気軽に使ってもらえるようになればいいね。

熱弁する仙人
熱弁する竹中秀二さん(通称仙人)

  ミミ 仙人の家を使って何かをやりたい!という人が増えていけばいいと思う。本当は料理を提供したいんです。料理が得意な奥さんなどがワンデイシェフとして仙人の家を使ってくれるといいなと思っていますがなかなかいらっしゃらない。やりたいことは次から次へと出てきます(笑)

地域に小さな居場所がたくさんできればいい

ミミ 今考えているのは、社協などにバックアップしてもらうことで、小さな暖かい居場所を提供して下さる方が沢山いらっしゃると良いなとおもいます。子供達が巣立っていき、2人暮らし、1人暮らしの方々が増えています。余った1部屋を解放して,居場所にする方々が増えてくるとよい。中々解放するのに抵抗のある方々が多いのはわかっていますが、オーナーさんに負担がかからないように、社協さんなどにバックアップ、コーディネートしていただくことで良い居場所づくりができれば、オーナーさんは公とつながり、見守られる。しかし、開放しない方が多い。奥さんはキッチンを開放するのが嫌だし、お子さんは知らない人が入るのは物騒だと思ってしまう。ただ、中には開放してもいいよという方はいるはずです。そういう方を地域で発掘して、社協さんに発足までの規約やお掃除などの規則を作るのを見てもらったりバックアップしてもらうことで、役所や包括支援センター、警察関係の方などとつなげていただくことができればいいと思ってます。独り暮らしで生活していくよりも家を開放するほうが、みんなに見守られていて良いのではないかと。西東京市の社会福祉協議会では、4つの地区に分けて担当を決め、西東京全体で“居場所づくり縁側プロジェクト”(個々の居場所をつなぐ)を始めています。個人が作った居場所、社協が借りあげてボランティアが運営している居場所をつないで、共助していこうとゆうわけです。社協さんも大きく動いているので、私達もこういった居場所を増やしていければいいと思う。大きめの場所作りだけではなく小さい場所をたくさん作っていけばいいと提言している。小さい場所を作る際には、仙人の家のように大きく改装したような場所は全く参考にならないので、もう少し小さく始めればよかったかなぁ?と思ってもいます。いまは開放する場合、社協の補助が出ないので会費制にするとか、居場所のオーナーが持ち出しにならずにストックしていける仕組みを作っていかないと長続きしない思う。市がやっている補助金制度では「いきいきミニデー」というものがある。5、6人以上集めて、みんなが外に出て健康になれるような活動を支援するものがあるので小さくやるところでも月2回開催すれば補助が出るという仕組みがあるので活用してほしい。

今後のやりたいことを話すミミさん
仙人の家など今後の活動展開について話す竹中美重子さん

 

── 最後にこれから地域で場作りをしたい方に向けて一言ください!

何をするにも基本的な考え方に“福祉”を入れること

仙人 お店などを作るときに自分の主観で開く人が多い。何をするにも基本的な考え方の中に福祉というものを念頭に入れていくのが良いと思う

しっかりした事業計画と仲間づくりが大事

ミミ これはある程度大きめの場作りの場合や、若い人が作る場合はとくにですが、年配者や人が働いていける足がかりとして、仕事ができるような場を作っていくというのは考えたほうがいいと思う。とにかく自分の生活に影響ないように計画をたてるようにしないと長続きしないので、準備期間っていうのは箱物になるべくお金を使わないでどうやって作るのかも大事だし、始めてから何をどうしていくのかビジネスとしてきちんと計画を立てていく必要があると思う。計画通りにはいかないとは思いますけど、計画を立てることは必要です。それと人ですね。私たちもみなさんに助けてもらってますよ。しっかりした仲間じゃないとダメだと思いますが、仲間を始める前に作ってしまうことが大事。ある意味、私達が年寄りだから「助けないとダメ!」という風になったのが有利に働いたけど、若い人がやる場合は少し違うのでしっかりした仲間づくりが必要だと思います。やっていた仕事や活動を活かすこと、そして仕事や活動で培った人脈を活かすことが大事。女性ならPTAの知り合いなど仲間がいると人集めなどでかなり強いです。

コミュニティ・カフェを長く続けるには”こだわりの食事”を提供することが絶対条件

ミミ 食事の提供はビジネスとしては絶対に必要です。例えば、そこそこのものを安く提供するとか腕を磨いて美味しいコーヒーを淹れて少し高い値段で出すとか考えられます。料理を出す場合は、うまくやらないと損をします。人は「食べる」ことに集まるとつくづく思います。食事を出す場合は何か特徴をつけるのが大事で、例えば地場の野菜を使うとか無農薬を使うとかお年寄りの体に良いものを作るとか。そのあたりにこだわるとコストが高くなるのですが何に特徴を出すか研究したほうがいいですね。とにかく「こだわること」が必要だとつくづく思います。   

 仙人の家、竹中ご夫妻
お互いを支えあっている姿がとても素敵なご夫婦でした☆

 

── 竹中ご夫妻、ありがとうございました!

  ( インタビュー・文: KOKEGUCHI,  HISAKO  )